私は、長野県滋野村(現在の東御市、小諸市)に、農家を営む家庭の4人兄弟の末っ子として生まれました。今の時代では考えられないかもしれませんが、当時は勉強よりも家の仕事の手伝いという時代。田植え休み、夏休み、稲刈り休み、冬休み、寒中休みっていうのがあって、休み中はずっと家の手伝いをする、そんな少年時代を過ごしました。中学を出ると、集団就職。家を継ぐ長男を残してみんな家から出て行きました。
「中学を出たら家を出ることになる。どんな仕事がしたいか」そう考え、修学旅行で見て感動した「海」の仕事に憧れて「船乗りになりたい!」と思って、いろんな本を読んで勉強をしていました。
が・・・その夢はあっさり諦めることになりました。
一等航海士になるためにはこんな学校をでなければいけない、これだけのお金がかかる、など、当時の私からすると、知ればしるほど遠い世界だったのです。その厚い壁は、調べ出したことを後悔(航海)するくらい高いものでした(笑)結局集団就職で家を出て、繊維工場で働くことになりました。始め3ヶ月は愛知県名古屋市で働き、その後、髙藤建設の創業の地である群馬県桐生市で働くことになったのです。
