コンテンツ3

会社概要

代表挨拶

代表取締役社長 石井 大作

この度はタカトーホームのホームページを
ご覧いただきありがとうございます。

地元太田で40年以上。これまでお客様と距離の近い住宅会社であるため、私たちのMISSIONは「“自然体で生きる場所”を創る。」をテーマに家づくりを提供させていただいております。
これまで1,900棟をこえる家を建てさせていただきました。

私が思う家づくりで最も大切なことは、そこに携わる「人」であると思います。
理想の家づくりのためにはお互いの気持ちが通じ合うこと、考えが合うことがとても重要です。

建てて終わりではなく、住み始めてからがスタートでそこから末永くお付き合いをする。
タカトーホームが“地元密着”の小さな会社だからこそ、スタッフ全員が同じ想いで精一杯お客様の幸せな暮らしの為に働いてまいります。
これからも「人」が1番の自慢と言えるタカトーホームであり続けたいと思っています。

皆さまの新しい生活がより豊かな暮らしになりますことを心よりお祈り申し上げます。

会社概要

会社名株式会社髙藤建設
創業昭和54年6月
設立昭和63年12月
本社所在地 〒379-2303 群馬県太田市寄合町110-2
TEL 0277-78-3324
フリーダイヤル 0120-37-2552
不動産事業部フリーダイヤル 0120-55-3434
リフォーム事業部フリーダイヤル 0120-74-5566
FAX 0277-78-3085
営業時間 10:00〜18:00
定休日 毎週火曜・水曜
代表者名誉会長 髙藤幸偉
代表取締役 会長 大森美明
代表取締役 社長 石井大作
資本金7,020万円
役員・従業員数取締役 5名 / 従業員 26名
施工実績1,952棟(1979年創立から2023年7月末現在)
取引銀行桐生信用金庫 藪塚支店
しののめ信用金庫 桐生支店
群馬銀行 大原支店
許可建設業許可 群馬県知事(特-5)第11399号
登録宅地建物取引業免許 群馬県知事(9)第3937号
一級建築士事務所登録 群馬県知事登録2158
加盟日本ツーバイフォー建築協会
日本住宅保証機構
住宅あんしん保証
日本住宅保証検査機構
営業項目総合建築業(調査、設計、施工一式、土木、建築、舗装)
在来工法、2×4工法
宅地建物取引業
関連会社株式会社マルマン(木材、建材、住宅設備機器卸売業)
所在地 群馬県太田市大原町1757-5
TEL 0277-32-3271
FAX 0277-32-5589

資格取得者

一級建築士1名
二級建築士7名
住宅販売士4名
相続診断士1名
宅地建物取引士4名
空き家相談士1名
インテリアコーディネーター2名
福祉住環境コーディネーター三級1名
二級建築施工管理技士1名
二級土木施工管理技士1名
一級建築施工管理技士1名
二級 FP 技能士1名
二級色彩コーディネーター1名
色彩検定三級1名
整理収納アドバイザー2名
既存住宅状況調査技術者3名
応急危険度判断士1名
外装劣化診断士1名
あんしん住宅維持管理士1名
住宅省エネルギー施工技術者1名
車両系建設機械2名
振動工具取扱作業者1名
建築物石綿含有建材調査者1名
ガス溶接1名
アーク溶接1名
保育士3名
幼稚園教諭二種免許2名
社会福祉主事任用資格2名

沿革

1979年髙藤建設創業 創業者:髙藤幸偉
1988年株式会社髙藤建設 設立
1994年500棟突破
1996年総合展示場(桐生)1号OPEN
1998年総合展示場(前橋)2号店OPEN
2001年総合展示場(桐生)3号店OPEN
2003年総合展示場(太田)4号店OPEN
2004年1000棟突破
2007年2代目社長:大森美明 就任
総合展示場(太田)5号店OPEN
2011年株式会社髙藤建設 本社「ミモザの森」OPEN
暮らし道楽株式会社 設立
2012年リフォームの髙藤株式会社 分社化
2014年総合展示場(太田)6号店OPEN
2015年1500棟突破
2017年株式会社髙藤建設 新社屋及びショールームOPEN
2023年3代目社長:石井大作 就任

会長物語

地元に、人に、支えられて生きてきた 髙藤幸偉の物語

こんにちは。株式会社髙藤建設 名誉会長 髙藤幸偉です。
現在は、地元群馬県太田市のみなさまを中心に、マイホームを提供させていただいておりますが、振り返ると、たくさんの人に支えられ、多くの出来事を経験した40年でした。この物語は、髙藤建設創業者である私、髙藤幸偉が、地元に、人に、支えられて生きてきた感謝の気持ちを込めて、綴らせていただきました。自身の半生をお伝えするのは些か恥ずかしくもありますが、髙藤建設の家づくりの原点、そして、地元に住まうことの素晴らしさ、マイホームづくりの魅力をお伝えし、これから家を建てるみなさまに、少しでもお役に立てればという想いですので、少しの時間お付き合いいただければ幸いです。

四人兄弟の末っ子、船乗りになりたい!と夢見ていた幼少時代

私は、長野県滋野村(現在の東御市、小諸市)に、農家を営む家庭の4人兄弟の末っ子として生まれました。
今の時代では考えられないかもしれませんが、当時は勉強よりも家の仕事の手伝いという時代。
田植え休み、夏休み、稲刈り休み、冬休み、寒中休みっていうのがあって、休み中はずっと家の手伝いをする、そんな少年時代を過ごしました。中学を出ると、集団就職。家を継ぐ長男を残してみんな家から出て行きました。

「中学を出たら家を出ることになる。どんな仕事がしたいか」そう考え、修学旅行で見て感動した「海」の仕事に憧れて「船乗りになりたい!」と思って、いろんな本を読んで勉強をしていました。

が・・・その夢はあっさり諦めることになりました。

一等航海士になるためにはこんな学校をでなければいけない、これだけのお金がかかる、など、当時の私からすると、知ればしるほど遠い世界だったのです。その厚い壁は、調べ出したことを後悔(航海)するくらい高いものでした(笑)結局集団就職で家を出て、繊維工場で働くことになりました。
始め3ヶ月は愛知県名古屋市で働き、その後、髙藤建設の創業の地である群馬県桐生市で働くことになったのです。

この人のためなら。一生涯の師匠、親方との出会い

たまたまの偶然、全くの素人で入った大工の世界でしたが、ここでのご縁が私の人生の大きな転機となりました。そのご縁というのが、当時の親方との出会い。
私の一生涯の師匠とも言える方との仕事でした。
親方は面倒見のいい方で、当時住み込みの大工は7人くらいいたのですが、何も知らずに飛び込んできた私を一人前の大工になるまで、一人の人としてお世話してくれたんです。 大工仕事はもちろんですが、その一生懸命生きる背中を見て、この人のために働きたい、親方と一緒にたくさん働いて、会社を大きくして恩返ししたい!そんな想いにさせる立派な人でした。
住み込みで8年、25歳になったときに結婚し、家庭を持って8年、計16年勤めさせていただきました。

ただがむしゃらに働いていた16年、結婚もし、家庭もでき、順調とも言えるあるとき、私にとって、人生で一番のショックとも言える出来事が起きたのです。

親方の死、そして倒産

私が入社16年目、親方が病気で倒れ、49歳の若さでなくなりました。
親方を失った会社はみるみるうちに仕事がなくなり、当時抱えていた負債を払いきれなくなっていきました。せがれさんもいらっしゃったのですが、まだ20歳と若い。そのせがれさんが会社を継げるようになるまで、なんとか会社を盛り上げようと私も番頭として、一生懸命やって、任されるまでになったのですが、残念ながら限界が来てしまいました。

社員に給料が払えなくなる。
業者さんに支払いができなくなる。
やりかけの現場が終わらない。

今思っても、人生で一番辛く厳しいときでした。
社長が入院している頃、「もう危ないかもしれない」と聞いて、今後の会社について、相談する相手を探していました。弁護士さんにも相談していたのですが、お金を払わないと教えてくれない、当時はそんなお金の余裕はありませんでしたので、他の方法を探しました。行き着いた先は、公証人役場というところ。相談をすると、会社の資産の差し押さえ、借金取りへの対策、ここでは語りきれないくらい生々しい話が現実となって降ってきました。

「お世話になった親方のために」

そんな想いで、毎日、ない頭を振り絞って、24時間フルに使って頑張ってきました。ある資産を全て売り、回収できるお金は全て回収し、もちろん私にとれる給料はありませんでしたが、番頭として会社を守ること、そしてご迷惑をおかけした方々にせめて何かできないか…と考え、動きました。家にはお金を入れることが出来ず、妻の給料で生活をしていました。そんな生活が1年近く経ったころでしょうか、私もそろそろ限界を感じていた頃、ようやく債権者との縁が切れて事態は収束に向かいました。関係者の方にも迷惑をかけた、妻、家族にも迷惑をかけた。ご迷惑をかけた皆様への気持ちは一生忘れません。

家に残された大きな建築機械 独立へ

何も残されていない会社から「これを給料の代わりに」と、譲り受けたのは大きな建築機械でした。家の庭にある大きな建築機械を眺めながら考えた、当時32歳。「新たな人生は、建築の道で食べていくしかない」私は、独立の道を選びました。「3年で返す」という約束で家族、親戚に借金をして、妻と妻の弟で仕事を始めました。妻には当時から本当に苦労をかけているので、申し訳ない気持ちと同時に、感謝の気持ちでいっぱいでした。

「何でもやります!」

まずは、信用されなくてはいけない。親からの教えでもあった「信用される人になれ」という言葉を胸に秘め、大工の仕事にこだわらず仕事を探しました。家や庭の片付けから、解体工事、トタン張りに溝掃除、本当になんでもやりました。そんながむしゃらに仕事をしていると、現場にきていたある設計事務所の方から声がかかりました。

「紹介するからまた、頼みますよ」

設計事務所の方に気に入っていただき、初めてリピートの仕事をいただき、そこから継続した仕事をいただけることになったのです。

仕事の広がり 住まいづくりの仕事へ

このことをきっかけに、徐々に大工としての仕事が増え、会社にもお金が入ってくるようになりました。
仕事をいただける喜び、お金が入ってくる喜び、嬉しかったのと、ここが頑張り時だ!という使命感でとにかく働きました。会社も徐々に大きくなり、人も雇えるようになりました。が、しかし10年経ったころ、今度は私の体に限界が訪れました。胆石で1ヶ月の入院を余儀なくされてしまったのです。ただ、この1ヶ月の入院が私にとってこれからの人生、会社の将来を考えるとても貴重な時間となりました。

大きくなる会社、不安を支えてくれた三人の仲間

1ヶ月、ベットの上で考え出た結論は、元請けの仕事を増やすことでした。
下請けで私が大工仕事をしなくてはお金が入らない状況では、限界がある。元請けになって、5箇所くらい現場を同時に動かして・・・私がいなくても仕事が回るような体制をつくって・・・そうすれば、一緒に働いている仲間に迷惑をかけなくて済む、仕事を提供し続けられる!そう思ったのです。
ただ、それには、協力してくれる仲間が必要でした。会社の立ち上げには、私だけの力、知恵だけではダメだ、共に協力してくれる仲間を探さなければいけない。私は、仲間を探しました。

「一緒にやらないか」

信用できる仲間に何度も声をかけ、幸せなことに、これから始まるいばらの道に、3人のメンバーが集まってくれました。そして、3人目に合流したのが、私がどうしても一緒に仕事がしたい!と思い、ラブコールを送り続けていた、若かりし現会長、大森美明でした。こうして、私と仲間3人、昭和63年に法人化が決定。株式会社髙藤建設としての歩みがはじまったのです。

仲間に支えられて

「こんなに心強いものなのか」

仲間との仕事は充実していました。もちろん、大変なこともたくさんありましたが、独りでやっている頃に比べると、心の充実感がありました。市況の良さも手伝って、会社も徐々に拡大してきました。地図に残るような仕事をということで始めた仕事は、分野も様々に増え、住宅においても、展示場の出展をきっかけに、知名度が上がり、お客様からの支持をいただけるようになってきました。
私は、3人の仲間と一緒にやることを決めた時、ある夢を持っていました。その夢とは、「近い将来、この3人全員、社長として自分の仲間をもって仕事をしてもらいたい」ということです。大森くんが、株式会社髙藤建設の会長として、仲間と共に頑張ってくれている様子は、私にとって何より嬉しいことです。今の髙藤建設の家づくりに協力しくれたのは大森くんです。私は大工一本でここまでやってきましたので、家を造ることはできましたが、お客様の喜ぶ家の企画や、暮らしの提案などは、苦手でした。

「お客様のために何ができるか?」

恥ずかしながら、本当の意味でお客様に喜ばれる仕事を考えるようになったのは、元請けとしてお客様の家づくりをさせていただくことがきっかけでした。

会社を引き継いでもらった時は、非常に厳しい時で苦労もかけましたが、仲間と協力しながら、今の時代に合ったお客様への提案を考え、支持を得ています。そんな大森くんとスタッフたちにこれからの髙藤建設を任せる。私の夢の一つが叶った瞬間でもあります。

頑張れ!大森くん!

あとがきにかえて

ここまで、お読みいただきありがとうございました。

偉そうに半生を語ってきましたが、今、振り返って思うことは、「私は、一人では何もできない人間だ」ということです。
親方、おかみさん、寮母さん、仕事のきっかけをくれた業者のみなさま。妻、両親、親戚、こどもたち、そして髙藤建設のお客様。たくさんの人に支えられ、今の私があります。先日、そんな何もできない私に、とても嬉しい声をかけてくれた方がいました。「あんときは大変だったね」当時、迷惑をかけた方々です。時が経ち、今はまた、仲間として一緒に働いてくれている方もいらっしゃいます。もちろん、仕事をする上で大変な迷惑をかけたので、当時のことは忘れてはいけない。でも、少しでもそう言ってくれる人が現れたことは、私にとって救いでした。
私は今、髙藤建設を大森社長はじめ、スタッフに任せ、太田市の市議会議員として働いています。地元、太田の住まいづくりは、みんなが本当によくやってくれています。だからこそ、私自身が、他の分野で貢献できることはないか?と考えていました。そんな時、偶然お声をいただいたのが市議会議員のお話でした。話があるまでは、自分が選挙に出るということは、想像もしていませんでしたが、妻からのすすめもあり、挑戦させていただくこととなりました。実は、私の父親も議員であり、結果としてその足跡を追えていることにも何かの縁を感じます。60歳過ぎの新人議員ですが、今までお世話になった地元のため、人のためになればとがむしゃらに走り回る毎日です。今後も、この地元に貢献できるよう取り組んでまいりますので、髙藤建設をどうぞよろしくお願いいたします。

株式会社髙藤建設
名誉会長 髙藤幸偉


その他のコンテンツ

Other Contents